第104回全国高等学校野球選手権 静岡大会

いよいよ最後の夏を迎える事となった息子。小学3年生から始めた野球は、高校3年になりかれこれ10年間野球に打ち込んで来たことになる。そして集大成となる高校3年の夏。

大会前に、滅多に電話してこない息子から着信が有り、また怪我でもしたのかと心配しながら恐る恐る電話に出るとガラガラの声で「背番号4をもらえました」と嬉しそうに報告してくれた。

最後の夏を迎えるまでに、息子は怪我に泣かされてきました

2年春に1度目の脱臼、そして秋に2度目の脱臼。再脱臼しないためにも手術を勧められたが、最後の夏に間に合わなくなるのは嫌だ、そして野球は高校で一区切りしたいと言う事で手術はせず、肩周りを安定させるトレーニングをコツコツやりながら何とかやって来ました。

春季大会は7試合フル出場しベスト4。夏も背番号4を勝ち取り目指せ甲子園‼︎意気込んでいました。

親としては、なんとか最後の夏まで怪我せず乗り切って欲しいと毎日祈る日々。そんな中、いつもは電話をしてこない息子から着信があるとドキっとするのである。

そして、迎えた夏大初戦

その日は、天気予報が悪く順延になるだろうと思いながら朝5時に車を静岡へ走らせたが、案の定、県高野連HPに順延の発表があり6時30分頃厚木から自宅へ引き返した。

息子の応援で休みがちなお店を、急遽オープンする旨SNSで告知し、明日の初戦の活躍を夢見ながら接客していると、いつもはかかってこないコーチからの着信…

もう、悪い胸騒ぎしかしない…

怪我では無いことを祈りながら電話に出ると…

「息子さん… 脱臼しました…」

「嘘でしょ…嘘でしょ……」

全身の力が抜けてしまう様な絶望感。

すぐにお世話になっている治療院の先生へ電話し無理言ってその日に診療してもらう事に。急遽お店を閉め息子を迎えに土砂降りの雨の中静岡へ。その日は新東名上り区間で一部土砂崩れが起きるほどの大雨でした。

学校近くの総合病院で整復をしてもらい、コーチと共に待つ寮へ駆けつける

対応してくれたコーチへお礼を失礼ながら簡単に済ませ、一目散にお世話になっている横浜市内の治療院へ直行

コーチから電話をもらったのが15時。急いで静岡へ向かい到着したのが18時30分。土砂降りの中車を走らせ横浜に到着したのが22時。そこから治療をスタートし終わったのが24時。翌日初戦なので急いで寮へ向かい到着したのが26時30分。

ワイアスリートケア湯山先生。(https://y-athlete-care.com) 急なお願いにも関わらず、日付が変わる時間までご対応頂きました。感謝感謝です。

そこから東京に引き返す気力もなく、明日応援するのを楽しみにしていた妻と娘は、急遽朝イチの新幹線で静岡に来てもらう事に。なんて野球の神様は意地悪なんだろう…悔しさが溢れその日は一睡も出来ませんでした。

そして迎えた夏大初戦。勿論、試合に出られる訳もなくシートノックにも入れず、ベンチから一生懸命ゲキを飛ばす。私は、心配する保護者の皆さんから同じ質問に繰り返し同じ説明をしながら、疲れた身体と悔しい気持ちを押し殺しながらスタンドから声援を送る。

チームは見事初戦を突破し3回戦へ

試合後、チームの許可を得て再度治療院へ。そして、その日から3回戦がある20日まで毎日静岡から横浜へ通いました。

治療2日目にはバッティング再開、3日目にはキャッチボール再開、4日目の3回戦ではシートノック復帰。

なんとか意地と気合いで間に合わせた感じですが、最後の夏。とにかく悔いの残らない様に出来ることを精一杯やろう。ただただそれだけでした。再脱臼から4日でシートノックに復帰出来たのは奇跡的で、息子の強い覚悟が感じ取れます。

治療院へ送る車の助手席で自分の足を拳で打ちながら「なんで脱臼したんだろう…」と悔しさを滲ませる息子。そんな息子に頑張れ!と言う安っぽい言葉をかける気にはなれず「チャンスは必ず来るから、それを信じで今出来る事を一生懸命やろう」と少しでも前向きな言葉をかけることで精一杯でした。

そして、チームは快進撃!!勝ちを重ねる度にチームが一つになり、どんどんチームが覚醒して行く。1発勝負のトーナメントではチームの勢いは絶対必要で、この勢いなら甲子園に行ける!そんな雰囲気が選手はもちろん父母会にも有りました。

そして見事17年振りの決勝へ駒を進めるのでした。

学年隔たりなく応援出来る素晴らしい父母会。最高でした。

快進撃の陰で、もがき苦しむ息子ですが、ゲームではベンチの最前列で大声を出し、暑さの中消耗していく選手のケアを一生懸命やっている息子。

そんな姿を見ると、プレーは見れないが野球の技術以上に心の成長を感じ取る事が出来て、最後にそんな息子の姿を見られて良かったじゃないか…と、なんとか心の折り合いを付けようと必死でした。

チームのために自分に出来る事を精一杯頑張る

そして迎えた決勝戦。

チームの雰囲気は最高潮だが、投手陣の疲労はピークを超え相手打線に捕まり今大会初めてリードを許す展開に。なんとか流れを変えようと、選手同士で声を掛け合い、何度もピンチを切り抜けるがジリジリと得点を重ねられ7回終了時で8−1と劣勢の試合展開。

そして、8回表の守備から今大会初めて慣れ親しんだセカンドのポジションへ。チェンジになると誰よりも早くグランドにダッシュで出て行き、セカンドベース付近で脱帽しグランドに頭を下げながら何かを呟くいつものルーティーン。

最後の夏。この場所に立ちたくて必死に練習を積み重ねた2年半。思いもよらぬアクシデントに一時は絶望したが、意地と気合いで乗り越えた。そんな彼に最後にチャンスを与えてくれた、チームメイトや監督、コーチそして治療院の湯山先生に感謝です。

やはり変わった所へボールは飛んで行くもの。セカンドゴロを軽快に捌き、笑顔が弾ける。投手や仲間に必死に声をかけ最後の2イニングを必死にやり切っている息子の姿をスタンドから一生懸命目に焼き付ける。

そして最終回の攻撃。

打順を見ると息子の打席は3番目。出塁がなければ2アウトランナー無しで打順が回ってくる。すなわち最後のバッターとなる。

三振。1アウト・・

キャッチャーフライ。2アウト・・・

2アウトランナー無し。息子に打順が回って来た。

最後の夏。最初で最後の打席。

ブラスバンドの演奏、リズム良く打ち鳴らすメガホンの音。この雰囲気の中で打席に立っている息子の姿に目頭が熱くなる。

初球空振り。

2球目ボール。

3球目空振り。

追い込まれる。 ここでネクストで控えるエースがタイムをかけ息子に声をかける

「思い切り振って来い」

4球目 134km渾身のストレート ファール。初めてバットに当てる。

5球目 思い切りバットを振り抜くと打球はライトへ・・・

ライト前ヒット!!!

まだ俺たちは終わらないとガッツポーズでベンチを鼓舞

その瞬間、我慢出来ずタオルで目を覆い泣きしました。

ありがとう。ありがとう。そう呟きながら泣きました。ちなみに、ヒットを打った選手の親は、メガホンで叩かれ手荒い祝福を受けるのですが、私が泣き過ぎて誰も叩く人が居ませんでした(笑)

最後の最後に、こんな感動を与えてくれるなんて本当にありがとう。

今まで息子が高校野球で築き上げてきたものが、この打席に全て出た気がして、そして、いつもはガッツポーズなんてしない息子が、塁上でガッツポーズをする。そんな彼の姿を見ると涙が止まらないのです。

試合は残念ながらそのまま8−1で敗れ、甲子園にはあと一歩及びませんでしたが、最後にチャンスを頂き、守備も打席も悔いの無いプレーをすることが出来て、高校野球をやり切れたと思います。負けた瞬間はグランドに泣き崩れていましたが、閉会式が終わり息子の元へ行くと、スッキリとやり切った良い顔をしていました。

そして「お疲れさん」とガッチリ握手を交わす。

最後の夏。1日でも長い夏を…

甲子園に行って欲しいと願い言い続けたフレーズ

色々あった最後の夏でしたが、静岡で長い長い夏をプレゼントしてくれた息子に感謝です。

息子の様に、怪我に泣かされた高校球児は沢山いると思います。今回、最後の最後にこの様な経験をしたと言うことには、何か意味があると思っています。スポーツショップを経営しながら、野球教室で全国を駆け回っていますので、この経験をこれからの指導に活かして行きたいと思います。そして、来月から定期的に母校の指導をする事になりましたので、最北端の球児たちと甲子園を目指したいと思います。

最後になりますが、息子の応援で駆け回っていた期間、不規則な営業時間で沢山のお客様にご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ございませんでした。皆様のご協力に感謝致します。これからも野球を通じて皆様のお役に立てるように頑張りたいと思いますので今後とも宜しくお願いします。

ここに最後の夏の出来事を記録させて頂きます。拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。

一生思い出に残る準優勝メダルになったでしょう。ちなみに私も29年前準優勝。親子で準優勝。甲子園の夢は孫に託します(笑)
3年間お疲れ様